歯車_看板「何もございませんが、よろしかったらどうぞ。」  日本人には、そんな謙譲を美徳とするような文化がある。侘び寂びという独特の美意識も、茶の湯によってクローズアップされ、現在では海外のクリエイターにまで知られるようになった。
これを茶の湯ではなく、酒の店で追求してみると、果たしてどうなるか?それも日本酒ではなく、洋酒の店で。

店主の濱本さんに聞いたわけではないのだが、神楽坂にひっそりとたたずむBAR「歯車」を訪れると、ついそんな想像を膨らませてしまう。
店の場所は、飯田橋駅の神楽坂口を出て、神楽坂下の交差点を渡り、最初の田口屋生花店の角を左折。すぐ右に入る路地へ曲がって道なりに歩くと、突き当たりの左手前のビル2階にある。

歯車_入口扉を開けると、まず竹垣のような目隠しがあり、外光が入るのをさえぎっているようだ。中は非常に暗く、初めての客なら閉店中と勘違いすることだろう。窓もないのに、照明はカウンター背後に小さい灯りが2~3個あるだけだ。(当然、写真は撮れないので、店内は雑誌の写真を転用…。)
席は、右手のカウンターに6席、左手に4人用のテーブルが2卓と、2人用のテーブルが1卓ある。

最大1m以上の幅があるというカウンターの広さも、BARとしては破格だろう。客にグラスを差し出すにも、かなり手を伸ばさなくてはならない。
カウンター上や正面の壁は、殺風景な板張りが広がるばかりで何もない。酒やグラスはもちろん、ちょっとした飾りすらほとんどないのだ。両サイドに設置されているスピーカーも無音。ここまで何もないカウンターの景観は、誰も見たことがないだろう。

内装を担当したのは、映画やCMの企画や美術制作で知られている制作会社・ヌーヴェルヴァーグ。新宿「ル・パラン」、六本木「ネ・プラス・ウルトラ」、元麻布「ラ・ユロット」など、まさに舞台美術のような内装のバーを作り上げることで最近知られている。

歯車_店内開店した4年前、オーナーバーテンダーの濱本義人さんはまだまだ20代だった。その若さで、ここまで全てをそぎ落としたBARを開くというのは、ただ者ではない。彼が、青山で一世を風靡したBAR「Radio」で修行したと聞けば、うなずく人も多いに違いない。

“バーテンの学校”とも言われた「Radio」の尾崎浩司さんは、若いころから茶道や華道に親しみ、スタッフにも習わせていたという。独学でバーテンダーとなった尾崎さんが成功した背景には、茶道の美学やもてなしの心があったからこそなのだ。(尾崎さんは、現在も青山で三代目となる「Radio」を営んでいる。)

歯車_夜間濱本さんは、同じく「Radio」から独立した本多啓彰さんのBAR「ル・パラン」を経て、2007年5月に独立。この“能舞台”とも評される異色の店をオープンさせた。

店では、カクテルはもちろん、ウィスキーやシェリー、葉巻、中国茶まで提供する。それに引き換え、料理は一切なし。食べるものは、お通しで出されるアラレぐらいしかない。(もっとも、この暗さで料理などできるわけがない。)
裏を返せば、酒以外に何もない店というのは、バーテンダーの自信の表れとも思える。酒で勝負する以外、まったくごまかしが効かないからだ。

営業時間は午後3時からで、定休日は月曜。日曜の昼下がりに飲めるというのもユニークだ。
意外にも、女性1人のお客も珍しくないらしい。
並のBARには飽きたというバーホッパーや、とことん酒に向き合いたいという人、限定でオススメしたい。

→東京カレンダー:歯車