「天才ピアニスト」という言葉には独特の響きがある。かつてそう呼ばれたピアニストは多いし、現在でもよく使われる表現だ。
だが、グレン・グールドほどこの形容が似合う人物を、ほかに知らない。


グレン・グールドは1932年、カナダに生まれた。かつてピアニストを目指していた母親に、幼い頃からピアノの手ほどきを受けて育ち、トロント王立音楽院を最年少の14歳で卒業する。

その後、カナダで演奏活動を行っていた彼は、23歳の時ニューヨークで初アルバム、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』をレコーディングする。このアルバムは、古典であるバッハを全く新しい解釈で演奏して絶賛され、1956年のクラシック・レコード売上ベストワンを記録した。
クラシック界に一大センセーションを巻き起こした彼は、天才ピアニストとして世界的な名声を得る。

天才と変人は切っても切れないが、グレンの変人ぶりは際立っている。
彼は、父親に子供の頃作ってもらった椅子を終生演奏用に使い続けた。高さが極端に低く、顔と鍵盤がくっつきそうな演奏スタイルとなったため、常に批判の対象にさらされた。晩年、その椅子はボロボロになり、布もほとんど擦り切れて枠だけになっていたが、まるで意に介さなかったらしい。

また、彼は病的な病気恐怖症だった。風邪を引くことを恐れるあまり、真夏でもコート・マフラー・手袋を欠かさず、冬は舞台や楽屋に何台ものヒーターを並べた。あらゆる感染症から身を守るため、毎日数十錠のビタミン剤を飲み続け、世界中どこに行くにもポーランド産ミネラルウォーターを持参して現地の水を決して口にしなかった。

脚を組んだまま演奏したり、演奏中に鼻歌を歌ったり、片手で指揮をしたり…といった行儀の悪さも有名。
自らの演奏テンポに絶対の自信を持ち、著名な指揮者や作曲家自身の指示にすら従わず、幾度となく軋轢を起こしている。

そして1964年、コンサート活動を一切放棄すると宣言するに至り、その変人ぶりは伝説的となる。
理由は、彼の完璧主義から来る「ピアニストの失敗を待ち望む聴衆の前で演奏したくない」というものと、大衆の集まる演奏会場で何らかの病気に感染したくない、というものだ。
彼は当時、人気絶頂の32歳だった。以降、彼は終生レコードでの演奏発表を活動の中心とする。

グレンの長年の友人であった精神科医のピーター・F・オストウォルドは、著書の中で彼がアスペルガー症候群(知的障害がない自閉症)であった可能性を示唆している。

グレンのCDは数多くあるが、クラシックの素養がないと、正直言って真価は分かりにくい。他の演奏家と比較することで、初めて彼の独自性が分かるからだ。(この点、自分も完全に素養不足)

初めて彼のCDを聴いてみるなら、2枚組の「images(イマージュ)」をお勧めしたい。1枚目が彼の十八番であるバッハの楽曲、2枚目は彼が傾倒していた現代音楽などバッハ以外の楽曲で構成されており、彼の業績の全貌が俯瞰できる。

もちろん、名声を確立した55年の『ゴールドベルク変奏曲』もいい。音がモノラルで古いのは致し方ないが、それが気になるなら、『バッハ:ゴールドベルク変奏曲 1955年のパフォーマンス』という変わり種もある。これは音楽テクノロジー企業、ゼンフ・スタジオによる再演版。
ヤマハ社製Disklavier Proという、全長約2.7mの「超高性能自動グランドピアノ」を使い、55年のアルバムを、最新テクノロジーで完全再現したCDだ。その精度は実際の演奏と寸分違わないため、「再演」と冠されている。

グールドは1982年、50歳の若さで脳卒中に倒れ、1週間後に他界する。
奇しくもその前年にデビュー・アルバムと同じ『ゴールドベルク変奏曲』を再録音しており、不朽の名盤と評されている。同じ演目を滅多に再録音しなかった彼だが、自分の原点であるこの曲を、更に進化した解釈と最新の録音技術でレコーディングしたかったのだろう。
55年のアルバムと聞き比べてみて、26年の歳月が天才ピアニストにどんな変化をもたらしたのかを探って見るのも、また面白い。